◯日光市 Nikko City, Tochigi Prefecture, JAPAN ◯室町時代~戦国時代 Muromachi period - The Warring States period (16th - 17th century) ◯市指定史跡 City Designated Historic Site ◯栃木県森林整備課数値標高モデル(0.5m)をもとに作成 CS立体図はCSMapMakerで作成 ◯文献:藤原町教育委員会1992『藤原町の文化財』
鶴ヶ渕城は、姥捨山(標高896m)から南に伸びる稜線上に造られた遺構と、その麓にある遺構からなっています。このうち前者は永禄年間(16世紀後半)に長沼氏によって築造されたといわれています。長沼氏は小山氏初代当主の次男に始まる一族で、長沼荘(現在の真岡市南部)を本拠地としていました。それ以外にも全国各地に所領がありましたが、南会津地方(福島県)もその一つで、南北朝動乱期(14世紀後半)に長沼の本拠地を失った際に、一時ここに拠点を移していたと考えられています。15世紀前半に長沼荘を回復して嫡流が戻った後は、分家がこの地を支配することになりました。この奥州長沼氏はその後下野国にも進出して一時塩原や日光市の一部(三依)なども領有し、宇都宮氏と対峙していました。三依にある姥捨山の遺構は、この時期に造られたと考えられます。一方麓の遺構については、慶長5(1600)年に、当時会津の領主であった上杉景勝の命によって築かれたと考えられていて、現状では馬出しと長塁が認められます。これは徳川家康による会津征伐に備えたもので、この時姥捨山の遺構にも手が加えられたといわれています。なお、この時の普請に関わった人物として、鹿沼氏の名が上杉方の文献にみられます。この鹿沼氏は、戦国時代末期に猪倉城主であった人物の可能性が考えられています(鹿沼氏については「猪倉城跡」を参照)。
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