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More model information渋谷平三重家の子で、永治元年(1141)8月15日に誕生しました。重家には子がなく夫婦で当八幡宮に祈願を続けると、金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る霊夢を見て立派な男子を授かりました。そこで、その子に金剛夜叉明王の上下二文字を頂き「金王丸」と名付けました。 金王丸17歳の時、源義朝に従い保元の乱に出陣大功を立て、平治の乱で義朝が敗れたのち出家し、土佐坊昌俊と称し義朝の御霊を弔いました。 また、頼朝とも親交が深く鎌倉幕府開幕にも尽力。義経追討の命を受け、文治元年(1185)10月23日夜、百騎ばかりを率いて義経の館に討ち入り勇将らしい立派な最期を遂げました。 頼朝は、金王丸の忠節を偲び、鎌倉の館よりこの地に桜樹を移植し「金王桜」と名付けました。 この御影堂には、保元の乱出陣の折、自分の姿を彫刻し母に残した木像が納められ、毎年三月最終土曜日の祭礼に特別開扉されます。更に金王丸が所持した「毒蛇長太刀」も保存されております。
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Apr 28th 2022
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